石見銀山…もう一度行きたいと
女房殿が「石見銀山 大久保間歩 一般公開限定ツアー」に行きたい、
と申しております。
この前、石見銀山のあちこちをうろうろしましたが、メインだったのは
やはり「龍源寺間歩」の見学。
銀を産出した仙ノ山、龍源寺間歩の反対側に位置するのが大久保間歩。
ちなみに間歩(まぶ)とは坑道のこと。
それと、「見たい」と行っているのが出雲地方各所に存在する「たたら」。
「たたら製鉄」をしていたところがあちこちに残されているのです。
先日の旅行でも、大田市から出雲市へ向かう途中、国道9号線横に
「国史跡・たたら製鉄跡」の看板があり、田舎道を走って行った
のですが、道不案内のため現地に行き着けずじまいだったのです。
大阪に帰ってから、ネットで調べたら「もうちょっと先やった!」っと、
おしいこと。
これでした↓
宮本鍛冶山内遺跡(みやもとかじさんないいせき)
お墓までは行ったのですが、そこから先、道が狭くなっていて、状況が分からず断念。
下調べしていたら迷わなかったのでしょうが、おしいことしました。
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2008年6月21日 06時30分
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まさに、ウチの実家近辺が該当します。
日立金属安来工場(今も名前は同じ?)は地元で一番の企業であり、遠足や社会見学で行きました。
たたらの展示があったのは和鋼記念館と呼んでいましたが、今は変わったかもしれません。
たたら製鉄は日本刀の材料である玉鋼を作るための重要な手法です。
材料の砂鉄を採取するために山を削り、川で選別したため、大きな川の川底が砂で埋まって、堤防を積み上げたので、典型的な天井川になっています。
尼子氏の城下町で育ちましたので、歴史教育も盛んで、山中鹿之助幸盛公の話など、古老のお話を聞かされたモノです。
中心を流れる飯梨川は上記の砂鉄採取による天井川で、上流には山奥に広い農地がありますが、これも砂鉄採取のため山を崩したためです。
「多田銀山」、近所だし面白そうです。
車は置けるのかしら?