スキャナーがやってきた:炊き出し
神戸の地震がおきて2週間ほどしてからのことです。
中川の青少年指導員が中心となり、県立芦屋高校まで炊き出しに行ったのです。
提供したのは「焼きイモ」と「ぜんざい」。
現地で撮ったカラーネガが発掘できました。
このときすでにボランティアの受け入れ相談窓口ができていました。
電話で何ができるかを伝え、
生野区からあまり遠くない場所
対応できる適切な避難者人数
などを相談。
結果、行き先が芦屋高校に決まったのです。
まっ暗な中、生野を出発。
高校の体育館が避難所になっていました。
一度には調理できないので、混乱を避けるため整理券を配布。
順に放送で呼び出ししてもらってイモとぜんざいをお渡ししたのです。
その時の写真です。
でも…とてもじゃありませんが周囲の状況を写す気持ちにはなれなかった。
我々が活動しているところを撮っただけ。
この写真の左上、倒壊した建物と電柱が写っています。
道はある程度片づいていましたが、家屋はそのまま。
拡大↓
高校のグランドが自衛隊の基地になっていました。
緑の帽子をかぶっているのが青少年指導員。
被災した方とあれこれお話しもできました。
「揺れて10秒で家がつぶれたんやで」
「暖かいもんありがたいわぁ」
「おイモさんでお通じようなるわ」
「生野から来はったって銀山の?」 →鶴橋でんがな
「このプロパン、どこで売ってるん?」
「あっこも下敷きで人亡くなったはるねん」
高校常駐のボランティアスタッフにイモを渡そうとして…「我々はいりませんから」
その後、大阪に「地域防災リーダー」制度ができました。
あれこれ訓練もしております。
地域に対する啓蒙活動も行っています。
でも…「想定外」には無力です。
■□■スキャナーがやってきた・まとめ■□■
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2011年5月8日 11時07分
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ワタシ自身
瓦屋根を破って土まみれになって外に出てから
まだ薄暗い周囲を見て初めて
「あ、古いウチの家が崩れただけじゃなくて
地震なんや。」と
理解したクチです。
色々な建物で絶対見えない筈の東灘区のビルが
まだ薄暗い前田町の家の前から見えているのは
異様な光景でした。
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知人一家がここ(宮川町:県芦)の体育館で
しばらく避難生活していましたので、数回訪ねています。
前を通ったかも知れませんね。
あの時はバイクが唯一の足でした。
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カメラ等も埋もれましたが
確かに持っていたとしても
アチコチ写せるような気にはなれませんでしたねぇ。
まだその下に人がいたりもしましたから。
カメラを持った人がウロウロすると
「何、人がどえらい目に遭うてるトコ撮っとうねん!」
て
雰囲気もありました。
今にして思うと
特に自宅周辺等
区画整理前の街の惨状を
色々記録しておけば良かったとも思います。
今のデジカメなら何とか準備して
撮影してたかな。
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近所の集会所で
豚汁の炊き出しがあったときが初めての暖かい食べ物。
すすりながら
何でか泣けてきたのを憶えてます。
有り難かったです。
そして、事前準備として現地のとのやりとりも重要。
ただ、電気と電話が回復していたからできた炊き出しでしょうね。
「プロパンは残ってるんでイモまだ焼けるで」っとなりまして、43号線を越えたところにあったスーパーまで追加買い出しに行ったのです。
スーパーにサツマイモは豊富にありました。
「火」がないので食材はあっても加工できないっということなんですよね。