『科学的とはどういう意味か』『科学嫌いが日本を滅ぼす』
またまた図書館から借りてきた本ですが、森博嗣(もり ひろし)著
「科学的とはどういう意味か」 (幻冬舎新書)
あちこちの書評を見ると内容がえらいけなされてます。
「文系・理系」の区分が言い過ぎなのかな?
でもね、現代社会を生きて行くには科学的知識が不可欠。
この点は共感します。
そして、311の地震・津波と原子炉事故に関してこんな記述があったの
で紹介しておきます。(改行位置と段落は変えてます)
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●まえがき
‥‥ いくら一時の笑顔があっても、それは「解決」ではない。
まして、「人道支援」と「防災」は別問題である。
よく「自然の猛威の前に人間は無力だ」という言葉で片づけて
しまうことがある。
これは、「油断をするな」という教訓としては正しい。
しかし、自然の猛威から人間の命を救うことは、可能である。
それができるのが「科学」であり「技術」なのだ。
極端な言い方になるけれど、科学的な知識を持っていることが、
身を守る力になる。
「気持ち」だけでは人は救えない。
きちんとデータを分析し、そこから予測し、次の手を打つことが
人類の力なのだ。
●第4章 技術者として一言
‥‥
科学者、技術者は今回の震災で何をしなければならないだろう。
もちろん、お見舞いもしたい、復興もしたい。
しかし、こんな時期にと言われるかもしれないが、最も考えなけれ
ばならないことは、「次に起こる地震」であり、「次に来る津波」
である。
:
沢山のデータが得られたのだから、備えはもっと良くできるは
ずだ。
より合理的に、的確になるはずだ。
それが「科学」の仕事、技術の目的である。
:
備えるためには時間も費用もかかる。
すぐに着手したほうが良い。
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この意見には反発する人もいるでしょうね。
原発事故をおこしたのは科学に技術ですから。
でも、この本で触れられていない部分があります。
それは「政治」。
国民意見の集大成、そして地域住民の声としての「政治」が
あるわけなんですが、本書では「どうすべき」っという道は
示されていません。
原発事故ですが、ある意味、政府機関のスカタン(もっと想定しろ!)
が原因でおこったようなものだと私は考えています。
お金をかければ(というか、発電して出た利益を回せば)十分な対策
はできたはず。
「ありえない神話」を作ったのって技術者じゃないですよ。
『人道支援と防災は別問題である』は、まさにそのとおり。
日常的な防火や事故防止のためにあれこれ法律が定められ、それが
成果を上げています。
でも、天変地異的な大災害には無力。
神戸の地震以来、行政としてあれこれ想定は進めてきましたのでしょ
うがまだまだ不十分。
千年、万年単位で地球を見ているとほんと、何がおきるかわかりません。
地震や津波、台風だけでなく火山に氷河期、隕石落下。
環境変化で種の絶滅。
それに人造物が加わります。
その元凶の人類も地球が生み出したものなんですんで。
※ついでにもう一冊
竹内薫著『科学嫌いが日本を滅ぼす』
サブタイトルが『「ネイチャー」「サイエンス」に何を学ぶか』
ノーベル賞をもらうには英語での論文提出が不可欠とか、
面白いエピソードがいっぱい。
本のタイトルほど過激な内容じゃありません。
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2012年3月27日 11時08分
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