ゴミなのか歴史資料なのか?
ガレージの「ゴミ」を整理していたら、ファイルからこんなものが出てきました。
可能なら「JO3JYE」さんに引き取ってもらえれば…幸せかなっと…。
1969年だと思います。ラジオ大阪の公開放送でもらってきたパンフレットです。
表紙と裏表紙をスキャンしました。
「ハットでヤンヤン」というタイトルの番組でして、
浜村じゅんや仁鶴、やすしきよしなどそうそうたるメンバーが出演していたようです。
その公開放送に行って、このパンフをもらってきたのでしょう。
ファイルにとじてありました。
広告ページはこんなのです。
「ラサ」のプールや「スズキ・フロンテ360」など、時代です。
そして、サンケイホールでの公開録音の案内がこれ。
ハガキを出して申し込んで、きっとタダで行ったのでしょうね。
『ラジオ聞く〜なら…1380OBC』っと唄っていた時代です。
もちキロサイクルですな。
※OBCで放送されていた桂米朝さんと小松左京さんのラジオ番組名、思い出しました。
「題名のない番組」略して「だいなし」でした。
真空管のラジオでこれらの深夜ラジオ放送、聞き入ってましたね。
北京やモスクワも良く入っていました。
で、あるとき短波バンド付きのラジオ(真空管だ)をもらって
7メガを聞き「こりゃおもろそうだ」「聞くだけでなく電波も出したいぞ」っとなったのです。
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2006年1月24日 22時07分
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1380から1310に移ったのは、記憶が正しければ昭和46年(71年)であります。(20kWから50kWに増力したとき)
なんという番組名だったか失念。
えげつないパロディー話(北京放送や平壌放送、モスクワ放送、毛沢東をちゃかす)がいっぱい出ていたのを覚えています。