「食のリスク学」
またまた図書館の本。
中西準子著 食のリスク学
サブタイトルが叛乱する「安全・安心」をよみとく視点。
食べ物において何がリスクがリスクでないのか…
たとえば発がん物質やさまざまな汚染物質。
それに健康食品も。
「数字」を元に述べられているので説得力があります。
言ってみれば「食に関するニセ科学を糾弾」てなところです。
そうそう「水道水」に関し、こんなことが書かれていました。
調べればちゃんと公的な裏付け資料も出てきます。
■1991年ペルーでの事件
塩素処理によるトリハロメタン(発がん性物質)生成
を心配して水道水の塩素消毒をやめてしまった。
すると…
水道水が原因でコレラが蔓延し80万人が罹患。
死者9000人あまりという事件になった。
公衆衛生で何を優先すべきか…
わずかな量のトリハロメタンによる発がん可能性か、病原体
の消毒か。
リスクの計算違いにより大事件となった。
そして水道水の塩素消毒についてこんな引用が記してあり
ます。
※1996年7月の堺市学校給食集団食中毒事件(O-157感染)
(患者数約8000人、死者3人)
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ペルー政府の失敗は、何を優先すべきかを示す事例として印象的
です。この記事は、広く知られてほしいものと思います。
じつは、堺市で起きたカイワレ大根を原因とする腸管出血性大腸
菌O157も、教育委員会が、トリハロメタンに必要のない”おののき”
を示し、事件から10年前に次亜塩素酸ナトリウムによる野菜等の
消毒作業を取りやめていたのです。
もし、カイワレ大根に対し次亜塩素酸ナトリウムによる消毒作業
を行っていたら、あの事件は起きていなかった、3人の子供の命を
失うことも無かったのにと悔やまれてなりません。
堺市内34校のうち、1校だけは一人の患者も発生していません
でした。その学校では、栄養士の指示で、3時間水道水に浸漬して
いたのです。微量の残留塩素と大量の水による菌の希釈で発病に至
らなかったことが追試験でも立証されています。
規定の塩素消毒をしていたら、事件は起きていないと言えます。
このことは、マスコミもあまり報道されていません。事件後は、ま
た、次亜塩素酸ナトリウムを調理場にまき散らしているような状態
です。
冷静な科学的知識の徹底のむつかしさを思います。
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◆その元文↓
http://food.kenji.ne.jp/review/review469.html
◆堺市の資料
国内で発生した事故・事例等を対象とした
食品の安全に係る情報の収集と提供に関する調査報告書
(『堺市学童集団下痢症事件』調査分)
資料76ページにこの状況解説が載っています。
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(3)晴美台東小学校が中・南地区で唯一の
非発生校である原因の検討
調理状況調査において判明した発生校及び非発生校の以下の
事項を実験室で再現し、O−157の汚染量に関する検討を
行った。
中・南地区の唯一の非発生校においては、調理状況調査の際、
貝割れ大根を調理後3時間水道水に浸漬していたとのことで
あった。
これらの調理過程を再現して貝割れ大根を3時間水道水に浸
漬したものと室温で放置したものについて、生菌数を比較し
たところ、3時間室温放置していたものでは、1.5×107
/g、水道水に浸漬したもので1.5×106/gであった。
水道水による生菌数の減少効果がO−157の最小発症菌量
のレベルにおいても生じるとすれば非発生の理由のひとつと
考えられる。
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私は当事者じゃありませんがこの解説を読んで…
患者を出さなかった晴美台東小学校の調理員さんら、
カイワレだけじゃなく、他の食材や調理環境に対しても
きちんとした仕事をしていたんでしょうなぁっと想像し
てしまいます。
「こんなこともあろうかと…」っという想像力が「良」
の結果をもたらしたんじゃないかと。
★「こんなこともあろうかと…」
・こんなことがあるかもしれないぞという想像力。
・もし今これをしておいたらイザというときに対処できるぞ。
・ちょいと手間(お金)はかかるけど、今これをしておいたら安心。
・今しとくほうがあとでするより楽やん(今ならお金も手間もかからんぞ)。
・手を抜いても大丈夫かもしれんけど、やっぱそりゃあかんやろ。
こんな感覚でしょうか。
なんというか、「いかなる時も安全第一に」と考えているもんだから、
きっと実行するときは無意識なんじゃなかろうかと。
手抜きしないのが当たり前てな反応でもって、勝手にカラダが動
くんでしょうな。
アタマで考えるんじゃなくてカラダが覚えている状態なんでしょ。
手順書を見たり一時の訓練だけじゃ対応できない非常事態。
そんな時に「そのものがカラダの一部」になっている「人」が
リーダーならと思ってしまいます。
(福島原発のスカタンを鑑みて)
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2013年7月5日 15時48分
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