このB29は?
東成図書館の蔵書。
「日本空襲の全貌」。
大阪上空を飛ぶB29。
右翼外側エンジンの下に「大阪城」が見えています。
そして、気になるのが右翼内側エンジン。
エンジン火災が起きたのか、エンジンオイルが漏れて
るのか、ひどいことになってます。
エンジンの後方、尾翼にも黒い筋が付いています。
このエンジン・トラブル、いつ発生したのか。
大阪まで飛んできてるということは、まだ爆弾は
積んでるわけで、機体は重いまま。
なぜすぐに引き返さなかったのか。
大阪上空でこうなった?
そして、この機体、その後はどうなった?
サイパンかテニアンか、ちゃんと出発地までたどり
つけたのか?
硫黄島に不時着したのか?
昔から気になっております。
※B29のエンジン:ライト R-3350 サイクロン 18
弁天町の交通科学博物館に展示してあった。
この写真、昔からよく見るんですが、オリジナルを
見てみたい。
もうちょっと左側(南のほう)まで写っていたら、
生野区が見えます。
記事によりますと、1945年6月1日の大阪空襲での
写真とのこと。
ここに↓この空襲での損害機の様子が紹介されています。
・本土空襲墜落機調査
・<B29-#42-93995>
↑6月1日の空襲に関し、こう記されています。
「474機が参加した大阪空襲では10機が失われた」
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2016年7月26日 08時49分
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電子工作と地図が好きな京都のYMです。
下記の画像が原版相当ではないでしょうか。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f9/Boeing_B-29A-45-BN_Superfortress_44-61784_6_BG_24_BS_-_Incendiary_Journey.jpg
wiklipediaの"Bombing of Osaka"の項目に、1945年6月1日の様子として掲載されていました。
また別の下記ページによるとこの機の名称は B-29A-45-BN 44-61784 “Incendiary Journey” のようです。
https://osakakushu.wordpress.com/2015/06/
地上がどういう状況であったか、思いをいたしつつ。
またエンジンおよび尾翼に見える黒い影については「オイル漏れか上空の機体の影か不明」とも。
http://philcrowther.com/6thBG/6bgplane07.html
"There is some question whether the dark area is an oil leak or the shadow of the plane above. During the mission 6 aircraft of the 6BG were damaged, but all returned."
ご紹介いただいたサイト、興味深く拝見しました。
この空襲、私の母親が勤労奉仕に行っていた
「本町の電話局」で遭遇していまして、命か
らがら鶴橋まで帰ってきたと、生前、話をし
ていました。
別の日の空襲では、我が家を含め鶴橋、今里周辺が
焼夷弾をあびています。
↑祖父、父親の話。
「SPレコードがみなパ〜に」っと、親父がよく言って
ました。