写真集「猪飼野・追憶の1960年代」に
エンジニアとしての体験談や工作のレポートをあれこれ雑誌に掲載してもらっています。
自分自身が書いた記事ですから、何が載るのかあらかじめ分かっていますし、本が書店に並ぶ頃には、著者献本として出版社からその本が送られてくるので、本屋で自分の名前が出ている本を見つけて驚くなんてことはありません。
少し前のことですが、自分達が知らない間に本に載っているのを発見して驚いたことがあります。
それも今の自分達ではなく、40年ほど前のガキんちょだった頃の姿です。
本を見つけたのは「生野図書館」。在日の人が多く住む場所だけに、韓国・朝鮮関連の書籍が置いてあります。
「猪飼野・追憶の1960年代」というタイトルの写真集で、ガレージの近所にある平野川周辺や御幸通り商店街(コリアタウン)の昔を紹介しています。
その中の写真に、まさに私と私の弟、弟と同年代の近所の友達そしてガレージ仲間のFさんが写っているのです。
撮影場所はガレージの西方80mの平野川。
護岸を降りて川に浮かべてある丸太の上に乗って、川に落ちたボールでも拾っているのでしょう、それを護岸の上からのぞき込んでいる40年ほど前の自分達の姿が写っています。
向かって左から3人目(帽子をかぶって下を見ている)が私、その右隣が私の弟。
その右、背が高いのがガレージ常連のFさん。
右側の3人が弟と同年代の近所の友達です。
この写真集を見つけてしばらくしてから、近所の御幸森小学校でこの作者による写真展が開かれまして、訪問しました。
残念ながら作者にはお会いできませんでしたが、「これは我々だ」とメッセージを残しておきました。
奇遇なことがあるものです。
参:大阪人権協会で紹介された写真展
現在の同じ場所、こんな様子です。(モノクロにしてみました)
写真右側にあった瓦屋根の家は、建て売り住宅に変わっています。
写真左側の家(材木屋さん)の壁面、窓は変わっていますが、当時の面影が残っているでしょう。
護岸は、昔の高さにに加えて1mくらいかさ上げされています。
今だと、小学生の背では川面は見えません。
川の横にある道路から、1.6mくらいの高さになっています。
写真集のずっと前、護岸がかさ上げ工事される以前は、伊勢湾台風や第二室戸台風では、平野川が溢水して付近一帯水に浸かっておりました。
現在は、昨年10月の台風による大雨でも、なんとか持ちこたえております。
ちょっと引いて全体を見るとこんな感じです。
この路地の奥に居酒屋ガレージ秘密基地本部があるのです。
昨年10月の台風23号による雨で増水した平野川です。
雨がやんで、ちょっと水が引いたときに撮りました。
(地域防災リーダー仲間と見回りしておりました)
コリアタウンの東側入口になっている「御幸橋」という平野川にかかる橋の下すれすれまで水が来ていたのです。
地面より上に水が来ていて、護岸が強化されていなかったら、周辺は完全に水没しております。
さて、7月に入ってのことなのですが、我々がガキんちょのときからあったモノがなくなってしまいました。
本に掲載されていた写真、堤防の上に並んでいる子供、の左から3人目(私)の頭の上に「茂った木」がかろうじて写っているでしょう。この木がなくなってしまったのです。
写真が撮られた当時はアパート、そのもっと前は映画館だったのですが、その入口横にこの木が植わっていたのです。
最近は中央ネオンという会社になっていたのですが、建物を解体して更地になり、宅地として売りに出されたのです。
建物だけが先に解体され、2本のシュロの木が寂しく残っていました。
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2005年5月8日 22時13分
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この写真集には、40年ほど前のご近所がいっぱい載っています。
もう一冊、知らない間に載ったことがあります。
そのうち紹介しますね。