ニックネーム: 居酒屋ガレージ店主
★ZAQのBlogari停止のため、あれこれ「データ吸い出し」対策しています。 新規記事はとりあえず停止。 コメント書き込みはまだ有効です。 (JH3DBO 下間憲行)
2006年09月24日(日)
大阪城甲冑隊:井戸掘り
「大阪城甲冑隊」の活躍をネットで探していると、あれこれ見つかります。

http://osaka.yomiuri.co.jp/machi/mc50810a.htm
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/2004/06/miotukusi040608.html
http://www.hpmix.com/home/hachirosan/D10_31.htm
http://bushou.exblog.jp/3389434/
http://blog.livedoor.jp/cafecabar/archives/24824791.html
http://homepage.mac.com/tktaku/OsakaCastleNews/PhotoAlbum126.html
http://www.tourism.city.osaka.jp/ja/castle/Event/20050328_2/
http://plaza.rakuten.co.jp/okirakusally/diary/200605060000/
http://nihontutuuraura.blog46.fc2.com/blog-entry-212.html



で、今日は「玉造稲荷神社」で行われている「井戸掘り」の見学に行ってきました。
 ↓
http://www.inarijinja.or.jp/ido/index.html

「千利休」が使ったとされる井戸が「玉造稲荷神社」で見つかり、大阪城甲冑隊の関係者が中心となって掘っているのです。
取水口、神社境内の地面から12mほど掘り下げています。
人が入れる縦穴の深さが3.5m。
当時の井戸壁がくずれずにきれいに見えています。
昨日の段階では、まだ安定した取水はできませんでした。
細かい砂がじゃましているのだろうというお話しです。

※とり急ぎ撮ってきた(息子所有の携帯電話を使って)写真を紹介しておきます。













以前にもこの国土地理院の航空写真↓
・1948年12月の航空写真
・1948年8月の航空写真
を紹介しましたが、玉造稲荷神社は爆弾の直撃を免れているようです。
周囲は焼け野原。 どんな状態だったのでしょうか。

グーグルマップによる玉造稲荷神社の場所

2006年9月24日 23時29分 | 記事へ | コメント(4) | トラックバック(0) |
| ・大阪城甲冑隊 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/igarage/trackback/531/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
玉造稲荷の界隈は,古くから人の集まる場所だったようで,恐らく芦原の中にこんもり高くなった台地の一端だったのでしょうか。
ATJ が通っていたのは,この玉造稲荷の境内のようなところで,地続きの玉造国民学校に付属した幼稚園でした。昭18.4〜19.3のことです。
2009年09月15日(火) 06:12 by 居酒屋ガレージ店主(JH3DBO)
JA3ATJさんが「東区玉造町四四七」というタイトルで玉造稲荷
神社の記事を書かれています。

3年前に書いたこの記事、リンク切ればかりになっていますね。
リンクをありがとうございます。
お稲荷さんの かつての正面 西側の道路を隔てとこらには,細川ガラシャ婦人のなんとかという碑もあったように思いましたが,今回の訪問では見落としたのかな。
コメントを記入  
お名前(必須)
 
パスワード:
 
メール:
 
URL:
 
非公開:  クッキーに保存: 
※非公開にチェックを入れると、管理者のみにコメントが届きます。
ブログの画面には表示されません。
captcha


※画像に表示されている文字を入力してください(半角・大文字/小文字の区別なし)。
文字が読みづらい場合はこちらをクリックしてください。
小文字 太字 斜体 下線 取り消し線 左寄せ 中央揃え 右寄せ テキストカラー リンク