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2007年06月06日(水)
『核爆発災害』
高田純著「核爆発災害 そのとき何が起こるのか」



本の扉にはこんな紹介文が記されている。
『第二次世界大戦末期、広島に投下された核爆弾が爆発した直下でも、
生き延びられた人がいた。また、ビキニ環礁での実験でも島民たちは
放射線を被曝したが生存している。不幸にも核爆発の影響下にいた場
合、生死を分けるものは何なのだろうか。本書は、政治的な視点を一
切除外し、純粋に科学的な見地から、過去の核爆発事例を検証し、現
在判明しているかぎりでの最新兵器による被害と生存可能性とを推測
する試みである。』

本書を読んでの驚き。
8月6日朝、広島上空で爆発した原爆の爆心500m圏内から生還した人
がいたという事実。
炸裂したのは爆心の上空600m。
500m離れてもほぼ45度で見上げる角度。直線だと800mほど。
爆発直後には直径200mほどの火球が出現。
その地獄をかいくぐっての生存。
記録では78人が確認されているという。
しかし、その後の放射線障害でほとんどの人が死亡。
それでも、運良くギリギリのところで爆発直後の放射線の直撃が和ら
げられ、寿命を全うされるまで生きられた人がいてたという。

一人は路面電車に乗車中。爆心からの距離500mで被爆。
車内が混んでいた中、座席に座っていたため立っていた人の影にな
って、閃光と放射線が遮蔽されたのだろうという推測。
当時23歳。77歳で死去。
もう一人は爆心からわずか170m。上空の爆発中心から直線700mもない。
ただしコンクリートでできた建物の地下室。
窓もない。まわりも頭上もコンクリート。
ケガをして閉じこめられはするものの、地下からの脱出に成功。
当時47歳。84歳で死去。
この二例が詳しく紹介されている。

それと、1954年3月1日に行われたビキニ環礁の水爆実験。
マグロ漁船、第五福竜丸が「核の灰」を浴びて被爆。
その船の無線長が被爆後およそ半年して死亡。
放射線障害が原因かと思っていたが、この本によると、貧血など
の治療のために行われた輸血による肝炎が直接の死因という。
他の第五福竜丸船員も、ビキニ環礁周辺で被爆した住民にも
急性放射線障害による死亡例は無いという。
その後、被爆による後遺症、白血病や癌に苦しめられるわけだが…。

この水爆実験(ブラボー実験と呼ばれている)、計画より2〜3倍の
規模で爆発してしまった。
爆発規模の見積もりが間違っていたのが、多数の被災者を出した原因
だったという。

本書には、現代日本が核攻撃を受けたらどうなるか、被災からどう
逃げれば良いかが記されている。
現実問題として、こういうことを知識として持っておくべきか…
悲しいことだが、地震など自然災害への対応にもつながるだろう。

2007年6月6日 08時42分 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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どちらにせよ、劣化ウラン弾も含む放射性物質を利用した兵器は使った後も未来永劫に影響が残るのは間違いありませんので、完全には避けられず、拡散・蓄積する事から地球上の何処にも逃げ場は無いと思います。使わない(と、いうか、そんな兵器が存在しない)のが一番です。

核兵器はある意味大規模災害よりも対策が難しい点はバイオテロに似ていると考えられますね。
2007年06月07日(木) 13:22 by 居酒屋ガレージ店主(JH3DBO)
核兵器の廃絶。祈願しますが…今の人類には無理だろうなぁ。
原子力発電の問題が微妙。
運転中に二酸化炭素は出さないでしょうが、海の水をだいぶと温めてますぜ。
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